坂東三十三観音霊場巡りの旅 長谷寺(白岩観音)

長谷寺(白岩観音)

寺伝

郷士の高崎氏は厄年を恐れていましたが、ある時、一人の旅僧の為に宿を提供しました。旅僧はそのお礼に役の行者ゆかりの地に生えていた楊柳(ようりゅう)の木で大和長谷寺の観音様を模した像を造り与えてくれました。この旅僧は行基だったそうです。

楠正成の家臣である浜名義尊が遠江の国から来て諸堂を守り、現住職はその三十九代目にあたります。永禄6年(1563)に武田信玄の箕輪城攻めの兵火で焼失しました。現在の観音堂は、天正8年(1580)に信玄の子である武田勝頼が世無道上人に命じて再建したものです。坂東三十三観音霊場の札所の中で、唯一の金峯山修験本宗のお寺です。

巡礼記

訪問日:平成19年5月4日

水澤寺を訪れた後、高崎市内で一泊し、翌日に長谷寺(ちょうこくじ)に向かいました。昨日と同じく、2番バスのりばに行きました。水澤寺に行くバスの便は少なかったですが、長谷寺に行く為に乗るバスの便はそれなりにあります。しかし発車時刻は事前に調べておいた方が良いと思います。群馬バスのホームページにあるよくある質問の中に白岩観音への行き方が書いてあります。

バス停から本郷経由室田行バスに乗り、バス停「ドドメキ」で下車しました。下車するとバスの進行方向とは逆方向に歩きます。すると道路の反対側に高崎駅行きのバスが停まるバス停「ドドメキ」が見えます。バス停のすぐ隣りには左折する道があり、その入口に「白岩山観世音入口」と書かれた石碑があったのでその道に入りました。道はなだらかな坂道になっており、しばらく歩くと「坂東霊場十五番白岩観音長谷寺この先1.5K」と書かれた案内板がありました。ここには1813年に作られた高浜六本辻の道標と呼ばれる自然石に方向を刻んだ道標もありました。今も昔も道標はありがたいものだと感じました。高浜六本辻の道標は1813年に作られたそうですから、今までに数え切れないくらいの長谷寺への参拝者を見送ってきたことでしょう。

「白岩山観世音入口」と書かれた石碑

「白岩山観世音入口」と書かれた石碑

あと1.5Kと示す案内板

あと1.5Kと示す案内板

高浜六本辻の道標

高浜六本辻の道標

しばらく歩くと、次は「白岩観音まであと1K」と示す案内板がありました。更に歩を進めると、大きな道と交差する場所に着き、そこに「長谷寺まであと200M」と書かれてありました。

「白岩観音まであと1K」と示す案内板

「白岩観音まであと1K」と示す案内板

「長谷寺まであと200M」と示す案内板

「長谷寺まであと200M」と示す案内板

そしていよいよ長谷寺へ到着です。りっぱな仁王門がありました。仁王門を通ると不動明王の石像が祀られていました。修験道のお寺には不動明王が似合います。そして観音堂へ行き、観音様にお参りをしました。また観音堂には拝観料200円で上がれるようになっていたので、堂内に上がり観音様により身近にお参りしました。観音堂内には綺麗に色彩された役の行者の像が祀られていました。そして本堂前にある納経所で御朱印を頂きました。

満願寺教化部発行のガイドブックには、「ある人は観光寺院に、また、ある人はこれだけの名刹をこんな姿にしておくのはもったいない、もっともっと霊場としての設備をといわれるが、坂東の札所の中に汚れのない、純粋な巡礼だけが訪れるところがあってもよいのではないか」という浜名ご住職の言葉を掲載しています。よって私は失礼ですが、かなり寂れた寺院を想像していたのですが、実際に訪れてみるとそんな風には感じませんでした。むしろ寺運を盛り返しているように感じました。

長谷寺の入口

長谷寺の入口

仁王門

仁王門

不動明王の石像

不動明王の石像

観音堂

観音堂

観音堂と納経所

観音堂と納経所

観音堂と不動明王の石像

観音堂と不動明王の石像

リンク集

群馬バスホームページ バスの時刻、料金等を調べることが出来ます。