武相卯歳観音霊場巡りの旅 信松院

信松院

巡礼記

訪問日:平成23年04月16日

16番札所の金剛院から歩いて行きました。お寺の入口には松姫の銅像が祀られていました。信松院には思い出があります。私は昔から戦国時代が好きなので、学生時代に武田信玄の娘である松姫ゆかりの信松院に訪れたことがあります。しかし、その頃の私にはお寺巡りはまだまだ敷居が高いもので、境内を少し散策してすぐに境内から出てしまった思い出があります。

戦国時代、武田家と織田家は同盟をし、その証として、織田信長の長男である織田信忠と武田信玄の娘である松姫は婚約しました。

しかし、武田家、織田家は互いに領土を拡大するうちに対立するようになり、同盟は事実上、無効になりました。そして、武田信玄が亡くなり、武田家の力が弱まると、織田信忠を大将とする織田軍が甲府に攻め込み、武田家は滅亡しました。松姫は甲府から八王子に逃れました。

信忠の元に松姫が生きている話が届き、信忠は松姫を自分の正室に迎えることにしました。そして、松姫一行が京に向かっている途中、本能寺の変で信忠が亡くなったという知らせが届きました。松姫は八王子に戻り、出家しました。

最後の部分は本当の話か分かりませんが、信忠と松姫の話は私の好きな話です。

入口から境内に入ると左手に喫茶店があり、少し歩くと右側に開帳塔婆と観音堂が見えました。こちらの観音堂もなかなか個性的な建物です。結縁綱を握ってから観音堂に向かいました。

堂内には、中央に観音像、向かって左側には松姫像が祀られていました。今回は観音巡りで訪れていますが、どうしても気持ちは松姫像のほうにいってしまいました。

お参りが終わった後、地下に八王子七福神の布袋さんが祀られているとありましたので、地下に行き、布袋さんにお参りをしました。そして、松姫のお墓にお参りです。

お墓に行く途中、道祖神がありました。男性と女性が仲むつまじくしている様子は、信忠と松姫のように感じました。

そして、学生時代から随分と時間が経ちましたが、やっと松姫のお墓にお参りができました。お墓の前に立ち、手を合わせた時、強い風が吹き始め、松姫が歓迎してくれているのだと思いました。

松姫の像

松姫の像

観音堂その1

観音堂その1

観音堂その2

観音堂その2

道祖神

道祖神