江戸三十三観音霊場巡りの旅 安養寺

安養寺

寺伝

開基は伝教大師最澄の高弟慈覚大師円仁と言われています。かっては江戸城内にありましたが、徳川家康が江戸入府の際に平川口より現在の地に移されました。

巡礼記

訪問日:平成19年4月14日

第十五番札所である放生寺を出て、東京メトロ東西線に乗り、早稲田駅から神楽坂駅に行きました。神楽坂駅を出ると早稲田通りに沿って歩きました。同じ早稲田通りでも、早稲田駅周辺とはかなり雰囲気が違う気がしました。早稲田通りと大久保通りが交差する場所に安養寺はありました。

境内に入ると歓喜天と札所本尊の十一面観音を祀る聖天堂がありました。お参りをした後、「ご朱印の方は左の建物のインターホンを押して下さい」のようなことが書いてあったので、インターホンを押して御朱印を頂きたい旨を伝えました。すると「書いている間、お堂には上がれますので、上がってお参りしていて下さい。」と言われたので、聖天堂に戻りました。上がれるとは知らず外からお参りしていたので、今度は扉を開けて中に入りお参りをしました。

そして庫裏で待っていると朱印が書かれた納経帳を持ってお寺の方が戻ってこられ、「本堂の薬師如来像にはお参りしましたか」と訪ねられました。私はまだお参りしていなかったので、「まだしていませんので、これからお参りします」と伝え、階段を上り、本堂に向かいました。

すると中から先ほどのお寺の方が見えられ、扉を開けて中に入れて頂けました。こちらの薬師如来様は丈六座像の金銅仏でとてもりっぱです。薬師如来様にお参りした後、お寺の方が色々説明をしてくれました。第二次世界大戦の空襲でお寺は全焼しましたが、薬師如来像のお顔、薬壺、手首は無傷で残ったそうです。それを京都の大仏師にお願いして元のお姿に復元されたそうです。

また脇侍として日光菩薩、月光菩薩の御御影が祀られているのですが、それらは薬師如来様に病気平癒をお願いして、願いが叶った方が奉納されたものだそうで、薬師如来のお経の文字を使って書かれているそうです。同じ方が奉納された観音経の文字を使用して書かれた観音様の御御影も飾られていました。こちらは間近で拝観することができ、確かに文字を使って書かれていました。また別の方が奉納した十二神将の御御影もありました。これを奉納した人はプロの人ではないそうですが、とても上手でした。

伝教大師最澄の言葉として有名な「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という言葉は、実は「千里を照らし一隅を守る、これ即ち国宝なり」が正しいそうです。これを最初に指摘したのが安養寺の住職さんだそうです。伝教大師が書かれたオリジナルを写経していくうちに間違えて伝えられていったそうです。

但し、これはお寺の方も言っていたのですが、天台宗が現在行っている一隅を照らす運動というのはすばらしい運動です。「一隅を照らす」というのは素晴らしい行動なのだから、それがたとえ伝教大師最澄の言葉でなくても大いに実践すべきものであると思います。延命十句観音経と同じような考えですね。(注:延命十句観音経はサンスクリットの原典が無い為、偽経であると悪く言う人がいました。しかし江戸時代の禅僧白隠は、たとえ偽経であっても延命十句観音経にはありがたい霊験があるのだから大いに信仰し、読誦すべきであると主張しました。)

これでこの日の江戸三十三観音巡りは終了しました。本日もとても気持ちよく巡礼することができました。特に安養寺では長時間お寺の方と話す機会に恵まれ、とても良かったです。観音霊場の寺院を巡る度に、観音様は素晴らしい仏様だと強く感じます。

聖天堂

聖天堂

本堂

本堂