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尾張三十三観音霊場巡りの旅 笠覆寺(笠寺観音)

笠覆寺(笠寺観音)

巡礼記

巡礼記

訪問日:平成22年7月31日

二番札所の長栄寺でお参りした後、地下鉄に乗って金山駅まで行きました。そこで名鉄に乗り換えて、本笠寺駅まで行き、下車しました。

駅から歩くとほどなく笠覆寺に到着しました。門には特徴ある笠のマークがあります。私を含め、このマークが好きな人は多いと思います。大須観音と同様にこちらにも九万九千日の案内がありました。

駅から近い山門

駅から近い山門

笠のマーク

笠のマーク

境内にはいくつかのお堂がありましたが、まずは本堂でお参りです。本堂の外陣からお参りをしました。お前立ちの観音像が安置されており、後でお寺の方に伺うとご本尊は8年に1度の御開帳で、次回は平成27年だそうです。

本堂その1

本堂その1

本堂その2

本堂その2

お堂に九万九千日の案内用紙が置かれていました。案内によると、ご本尊の観音様がかぶっていた「お笠」を頭にかぶせて祈願してくれるそうです。

本堂では和讃(わさん)がスピーカーから流れていましたが、成田山深川不動堂で唱えている和讃に似ていたので質問すると、真言宗智山派の和讃だそうで、成田山も智山派なので、同じように聞こえたのだと思いました。

本堂の右側には様々な仏様が祀られており、お参りができるようになっていました。その中に東海三十六不動霊場のお不動さんがいらっしゃいました。

本堂の右前には玉照姫と兼平公夫妻を祀るお堂がありました。笠覆寺には次のような話があります。

浜辺に流れ着いた霊木を彫って十一面観音像が作られた。そして寺が建てられ、そこに観音像がおさめれた。しかし、その後、お寺は荒廃し、観音様は風雨にさらされるようになってしまった。
長者の家に美しい一人の娘が働いていた。彼女はその器量を妬まれて、ひどくこき使われる日々を送っていた。ある雨の日、ずぶ濡れになっている観音様を見た彼女は、自分のかぶっていた笠をはずして、その観音様にかぶせた。その縁か後日、関白の息子である藤原兼平公が下向のおり、長者の家に泊まった時にその娘を気に入り、自分の妻として迎えた。妻となったその娘は「玉照姫」と呼ばれるようになった。
観音様の縁によって結ばれた兼平公・玉照姫夫婦は、お寺を建て、姫が笠をかぶせた観音様を安置した。そのお寺は笠覆寺と呼ばれた。

本堂の右、つまり境内の右側部分には、笠寺善光寺堂、笠寺薬師堂などのお堂があり、各お堂でお参りをしました。そこから下ると池があり、白瀧大神、弁才天が祀られていました。こちらの白滝大神は熱田神宮の白竜神社の姉妹である龍神様だそうです。

最後は境内に入った時にお参りしなかったお堂、白山社、延命地蔵堂、役行者堂でお参りをしました。

笠覆寺は境内はそれほど広くありませんが、見所の多いお寺です。また何故かとても惹かれるお寺です。これからも年に一度はお参りしたいと思います。

玉照姫と兼平公夫妻を祀るお堂

玉照姫と兼平公夫妻を祀るお堂

本堂、及び玉照姫と兼平公夫妻を祀るお堂

本堂、及び玉照姫と兼平公夫妻を祀るお堂

リンク集

笠寺観音ホームページ 笠寺観音公式ホームページ