坂東三十三観音霊場巡りの旅 安楽寺(吉見観音)

安楽寺(吉見観音)

寺伝

僧行基が聖観音像を刻み、岩窟に納めたのが始まりです。坂上田村麻呂が奥州征伐の時に立ち寄り、戦勝を祈願し七堂伽藍を建立しました。また源範頼が平治の乱の後に助命され、安楽寺で稚児僧として育ちました。

巡礼記

訪問日:平成18年11月18日

東武線東松山駅で下車し、東口からバス停に向かいました。バス停には丁度、比企吉見農協行きバスが止まっていましたのでそれに乗車し、バス停久保田で下車しました。ここから安楽寺まで約3kmの徒歩です。またお寺までの地図もガイドブック(平幡良雄著、“坂東観音巡礼”、満願寺教化部)に掲載されているものが頼りでした。無事つけるかどうか少し心配でしたが、目印のゴルフ練習所辺りで坂東十一番吉見観音と書かれた看板が見え、一安心しました。またゴルフ練習所近くに江戸時代の年号が刻まれた西国・坂東・秩父百観音供養塔と観音様の石碑があり、「昔の巡礼者もこれを見たのかな」などと思いました。

看板横の道をまっすぐ行くと安楽寺の仁王門に着きました。途中には、いくつかの古そうな観音様の石碑があり、また仁王像の石像もありました。この辺りは良質な石がたくさん採れるのでしょうか。

仁王門をくぐり境内に入ると真正面に観音堂が見えます。さっそく観音堂でお参りをしました。また観音堂の右側には江戸時代初期に再建された三重塔があり、とてもりっぱでした。そのまま観音堂の裏に廻ると天乃岩戸と書かれた中に大日如来の石像が祀られていました。そして観音堂の左側に廻ると八起地蔵尊が奥に祀られていると書かれてあったので、そちらに行きお地蔵さんにお参りをしました。そして観音堂の左側にある納経所の入口から納経所に向かい、ご朱印を頂きました。

境内には1790年に造られた阿弥陀如来像が祀られており、とても穏やかなお顔をされています。また薬師堂もあったので、そちらでもお参りをしました。

境内をでると十一時四十分頃だったので、門前にある厄除け団子を食べられる店で昼食をとりました。お団子も昼食もどちらもおいしかったです。観音様にお参りした後に門前町で美味しいものを食べるというのは、江戸時代からの観音霊場巡りにおける楽しみの一つです。安楽寺は交通が不便な場所にありますが、その分昔ながらの良さが残っていると感じました。

西国・坂東・秩父百観音供養塔と観音様の石碑

西国・坂東・秩父百観音供養塔と観音様の石碑

坂東十一番吉見観音と書かれた看板

坂東十一番吉見観音と書かれた看板

仁王像の石像

仁王像の石像

仁王門

仁王門

観音堂

観音堂

三重塔

三重塔

阿弥陀如来像

阿弥陀如来像

観音堂と阿弥陀如来像

観音堂と阿弥陀如来像

薬師堂

薬師堂