浅草寺
寺伝
628年3月28日に檜前浜成と竹成の兄弟が隅田川で漁をしていると、一体の仏像が投網にかかりました。兄弟がその像を豪族の土師中知に見せると、中知はそれが聖観音であることを知り、深く帰依しました。そして自宅を寺とし、以降、礼拝供養に生涯を捧げました。これが浅草寺の始まりです。
徳川家康が江戸に入府すると浅草寺は徳川家の祈願所となり、江戸の発展と共に多くの参拝者で賑わいました。
巡礼記
訪問日:平成19年10月28日
毎年10月28日に浅草寺では写経供養会が厳修されます。また10月21日から29日まで浅草寺の五重塔一階で秩父札所総出開帳が行われました。今回はこれらに参加する為、そして坂東三十三観音霊場札所巡りの為に浅草寺を訪れました。
東京メトロ銀座線の浅草駅で下車し、浅草寺に向かいました。写経供養会は午前十時、正午、午後二時の三回行われますが、いずれも本堂が一杯になるほど参加者がいます。本堂に着くと内陣に上がり、不動明王像、裏観音像、愛染明王像、そして本尊の観音様にお参りをし、着席して会が始まるのを待ちました。
写経供養会とは、一年間に奉納された写経をご本尊の観音様のご宝前に奉安し、十種供養をもって総供養を営む行事です。浅草寺では昭和三十三年に観音堂を再建したのを機に、「観音経百萬巻写経運動」を行っています。今年の写経供養会までに奉納された観音経は通算で約七十万巻になったそうです。私はこの観音経写経を皆さんにお薦めします。専用の写経用紙は500円で購入することができ、写経・納経すると自分が納経したものが通算何巻目であるかを示す納経印付きハガキが送られてきます。また浅草寺に持参して納経する時、「浅草寺」という雑誌を頂けます。この本には浅草寺で毎月行われている行事や浅草寺に関する様々なことが掲載されています。この本を読むと浅草寺を観光寺としか思っていなかった方も浅草寺はしっかりとした宗教活動を行っているお寺だということが分かると思います。
写経供養会が終わると本堂を出て、秩父札所総出開帳が行われている五重塔へ行きました。浅草寺には何度も来ていますが、五重塔の中に入るのは今回が初めてでした。今回の秩父札所総出開帳は、来年の3月18日から7月18日まで行われる秩父三十四観音の総開帳を宣伝する為に開催されていました。このような出開帳は江戸時代に行われて以来、232年ぶりだそうです。この事実を知ると何か歴史的イベントに参加しているような気になりました。総出開帳では秩父三十四札所寺院のお前立ち観音像が安置され、それぞれの観音様にお参りをしました。
秩父札所総出開帳その2
秩父札所総出開帳その3
浅草寺にはまだまだお堂があります。影向堂には聖観音菩薩像とその左右に十二支生まれ年の守り本尊が祀られています。淡島堂には本地仏が虚空像菩薩である淡島明神が祀られており、女性の信仰が篤いそうです。橋本薬師堂は1649年に徳川家光が再建したもので、名前の通りに薬師如来が祀られています。
影向堂
淡島堂
橋本薬師堂
上に書いたお堂は比較的大きなお堂ですが、境内には小さなお堂もあります。六角堂は1618年に建立された現在浅草寺にある最古のお堂です。本尊は日限地蔵尊と呼ばれ、何かのお願い事に対して日数を定めて祈願すれば、霊験があるそうです。また三峯神社、一言不動尊、金龍権現、九頭龍権現、子育て地蔵尊、商徳地蔵尊、出世地蔵尊、銭塚弁財天、めぐみ地蔵尊、弘法大師作と言われる大黒天、恵日須を祀るお堂などもあります。これらのお堂の中で自分のお気に入りを決めて浅草寺を訪れた時は必ずお参りするのも良いと思います。
そして綺麗に修復された宝蔵門を眺めました。なぜ宝蔵門と呼ばれるかというと、浅草寺所蔵の寺宝をはじめ、特に重要文化財の「元版大蔵経」を収蔵しているからです。大蔵経を収蔵している宝蔵門を通る功徳は大きいそうですから、浅草寺に来た時は必ず宝蔵門をくぐりましょう。
次は弁天山と呼ばれる小さな丘の上にある弁天堂に行きました。こちらのご本尊は、江の島、柏市布施の弁天さまと合わせて、関東三弁天と呼ばれています。また弁天堂の近くに松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」で有名な鐘があります。
これで浅草寺の拝観は終わりましたと書きたいところですが、まだ一箇所行かなければならないところがあります。それは駒形堂です。浅草の観音様が隅田川より御示現された由緒ある場所に建つお堂です。坂東三十三観音巡りで浅草寺を訪れたならば、駒形堂は必ず訪れたいところです。
以上、色々書きましたが、これからも観音経写経などを通じて浅草の観音様とご縁を深めていきたいと思います。
宝蔵門
弁天堂
駒形堂
リンク集
浅草寺ホームページ | 浅草寺公式ホームページ |
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