中禅寺(立木観音)
寺伝
勝道上人は男体山を極めんと発願し、十五年の苦行の末、782年にその大願を果たしました。上人は頂上に二荒山神社をまつり、2年後の784年に中禅寺を建立しました。中禅寺は元々、二荒山神社中宮祠の近くにありましたが、1902年の山津波によって湖中へ流され、1913年に再建されました。
巡礼記
訪問日:平成19年10月8日
西明寺を訪れた後、宇都宮市内に宿泊して、翌日、JR宇都宮駅からJR日光駅に行きました。改札を出ると、天気予報の通り雨が降っていました。バス乗り場に行き、バスの時刻表を見ると発車時刻まで少し時間があったので、駅で日光の案内を見ていました。すると、中禅寺湖フリーパスというものがありました。フリーパスの値段は2000円で、日光駅から中禅寺湖まで片道の料金は1100円なので、単純に往復するだけでもお得になります。よって中禅寺湖フリーパスを購入しました。
バスは、いろは坂のすごい坂道を順調に登り、終点の中禅寺湖バス停に着きました。バス停からは中禅寺湖の方向に歩きました。日光二荒山神社中宮祠の朱色の鳥居そばに、左・中禅寺立木観音堂道、右・二荒山神社中宮祠道と書かれた道標がありました。それに従い歩くとすぐに中禅寺参道と書かれた道標がありました。参道(今は完全に車道ですが)を歩いて行くと、開山の勝道上人のお堂がありました。坂東三十三カ所を歩く (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)の本に「中にはりっぱな上人の像がある」と書かれていたので、お堂の中を覗くと確かにりっぱな勝道上人像がありました。そこから更に歩いて行くと前方に赤い仁王門が見えて来て、中禅寺に到着しました。書き忘れましたが、参道からは男体山と中禅寺湖の素晴らしい景色が見れます。訪れた時は雨でしたが、それでもずっと眺めていたいような風景でした。
中禅寺参道の石碑
男体山と中禅寺湖
勝道上人のお堂
山門その1
山門その2
入口で拝観料500円を払い、境内に入りました。本堂に向かって歩いていると途中に納経所があって、参拝前に納経帳をお出し下さいと書いてあったので納経帳を預けました。本堂に着くと、「今、団体の方が拝観していますのでしばらく座ってお待ち下さい」とのことでしばらく待っていました。そしてお寺の案内の方の先導により、中に入りました。中禅寺のご本尊は別名「立木観音」と呼ばれるように、立木の状態のままで彫られた仏像です。坂東三十三観音を代表する素晴らしい観音様だと思います。お寺の方の観音様についての説明が終わり、推薦したものを購入する人がもういないと分かると次は五大堂へ案内されました。五大堂には五大明王、勝道上人、波之利大黒天が祀られており、お寺の方から説明がありました。
説明があるのはありがたいですが、ゆっくり参拝できないのが気になりました。観光客ならばこれで満足でしょうが、巡礼で来ている人は少し不満ではないでしょうか。また本堂の外壁には、坂東巡礼の方はここで読経して下さいのようなことが書かれた紙がはってありました。個人で巡礼している人はご本尊を見ながらお経をあげることができないというのは少しおかしいのではないかと思いました。
境内には、波之利大黒天堂、愛染堂がありました。それらを拝観した後、納経所で納経帳を受け取りました。写経した般若心経を納経しようとすると、本堂に納めるところがありますということで本堂に戻り、お寺の方に手渡しました。その時、「願意が実現するように翌朝、御住職が祈祷するので500円お願いします」と言われました。「翌朝、祈祷をする」は西国三十三観音の番外札所である花山院でも言われましたが、お金は取られませんでした。日本百観音(西国、坂東、秩父)の寺院でこのようにお金を要求するのは中禅寺だけだと思います。日光の寺社は商売気が他より強いのが気になります。
日光という名前の由来として、「補陀洛(ふだらく)」から「ふたら(二荒)」なり、二荒を音読みして「にっこう」になったという説があります。補陀洛とは観音様のいらっしゃる浄土を意味するので、日光は坂東三十三観音霊場巡りをしているものにとって聖地とも言っていい場所です。中禅寺には「訪れて本当に良かった」と全ての面で思えるようなお寺になって欲しいです。
本堂その1
本堂その2
波之利大黒天堂
愛染堂
愛染堂と愛染かつらの木
リンク集
輪王寺のページにある中禅寺のページ | 輪王寺のホームページにある中禅寺を説明するページ |
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