安養院(田代観音)
寺伝
北条政子は1225年に頼朝の菩提を伴う為、長楽寺を建立しました。そしてこの年の7月に政子は亡くなり、長楽寺に埋葬され、長楽寺は政子の法名をとり安養院となりました。
巡礼記
訪問日:平成18年8月10日
長谷寺から歩いて安養院に向かいました。歩いてみて長谷寺から安養院までは、ほぼ一本の道を歩けばよいことに気付きました。
安養院に着くと四万六千日だというのに人がほとんどいません。また四万六千日であることを示す立札などが何もありません。
本堂でお参りをし、納経所でご朱印を頂きました。ご朱印に四万六千日の印を押してもらいましたが、それ以外は四万六千日を実感するものが無く、何か物足りなさを感じました。観音様も四万六千日の日には大勢の人に参拝に来て欲しいと思っているのではないかと考えながら安養院を後にしました。
(追記)平成19年も四万六千日に安養院を訪れました。その時は本堂の扉が開けられ、本尊の千手観音像をはっきりと拝観することができました。また参拝者もいつもより多くおり、今日が四万六千日であるとはっきりと実感することができました。平成18年だけが少し違っていたのかもしれません。
山門
北条政子の供養塔
本堂
ご詠歌