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尾張三十三観音霊場巡りの旅 長楽寺(立木観音)

長楽寺(立木観音)

巡礼記

訪問日:平成23年8月6日

名古屋市博物館で開催されている甚目寺観音展を鑑賞した後、地下鉄桜通線に乗り、桜本町駅で下車しました。地下から地上に出て、道なりに歩き、東海通との交差点で右折をし、東海通を歩きました。そして、小学校と中学校の間の道に入り、直進すると長楽寺に到着しました。

境内に入ると右側にお堂があったのでそちらに向かうと、そこに尾張三十三所のご本尊である立木十一面観世音菩薩像が祀られていました。本によると、身丈3.3メートルだそうで、立派な像でした。

観音堂の前に立木観世音菩薩の由来と書かれた案内が置いてありました。しかし、その案内を読んでも、今一よく分かりませんでした。そこで、満願寺の案内本に書かれた内容も参考にした由来を以下に書きます。

1768年に長楽寺の十七世智海和尚が霊夢により、松の木の下に観音の石像を祀りました。しかし、大正10年にその松が枯れていまいました。そこで伐りとろうと計画すると、その夜、清水尊天が現れ、この松には観世音菩薩様が降臨されているので、立木のまま十一面観音像を彫刻して供養しなさいと告げました。

しばらくして、八十歳ぐらいの遍路が来山し、老松をどうするかと尋ねました。観音像を彫刻すると答えると、その老人は老木に祈祷し、消えてしまいました。不思議に思い、このことを清水尊天に伺うと、その老人こそ弘法大師の化身であるとお告げがありました。こうして、立木のまま十一面観音像が彫刻されたという由来があります。

堂内には左右の壇にも仏像が祀られており、それぞれ、馬頭観音像と熱湯観音像だそうです。また堂の前には、目守弘法大師が祀られていました。

本堂でお参りをし、清水咤枳尼真天を祀られているお堂に向かっていると、そのお堂の隣に納経所がありました。咤枳尼真天にお参りした後、御朱印を頂き、長楽寺を後にしました。

観音堂

観音堂