尾張三十三観音霊場について
江戸中期から全国的に庶民信仰の中心として観音霊場巡りが盛んになり、江戸、大阪、京都に次ぐ大都市であった名古屋を含む尾張地方にも三十三所観音霊場が設けられていました。
しかしながら、明治時代における廃仏毀釈、太平洋戦争による寺院の焼失等により、戦後、尾張地方に観音霊場が復興することはありませんでした。
そのような中、西国、坂東、秩父観音霊場を何度も巡礼されていた長谷川勇夫妻は尾張地方に新しい三十三所霊場の結成開創を発願され、八方奔走しました。その努力が実を結び、昭和三十年八月八日に興正寺において、尾張三十三所観音霊場の結成式が厳修され、十一月には各札所寺院において、開創記念大法会が厳修されました。
尾張三十三観音霊場は、名古屋にある大須観音から知多半島を一周し、尾張西部、北部を経て、瀬戸から名古屋へ戻り、尾張高野で知られる興正寺で結願するコースです。先人の努力により、尾張三十三観音霊場めぐりができることに感謝し、尾張地方の観音様とご縁を結びましょう。
参考文献
・「尾張と観音霊場-その成立と概要-」、尾張観音巡礼、満願寺教化部
・「尾張三十三所観音霊場開創縁起」、公式納経帳