行願寺 [革堂]
寺伝
出家前は狩人だった行円上人は、ある日のこと射止めた雌鹿の腹の中で子鹿が生きていることを知り、殺生の罪深さを知り仏門に入りました。行円上人は殺した鹿の革の衣を身につけ命の尊さを説いて廻りました。よって行円が住んでいた行願寺の通称が革堂となりました。
巡礼記
訪問日:平成18年3月20日
京都2日目は行願寺(革堂)からスタートです。地下鉄丸太町駅から徒歩で行きました。本堂で観音様に手を合わせ、納経所に向かいました。朱印と散華を頂き、「慈悲の道はありますか」と聞いたところ「ないんです」と言われました。三十三ヶ所の慈悲の道を集めるという目標は早くも崩れ去りました。
本堂
七福神
追記
令和元年7月12日
Googleから本ページに関して「送信された URL はソフト 404 エラーのようです」と通知がありました。ネットで「ソフト404」を調べると、内容が薄いページということで、少しショックでした。本巡礼記を書いたのは平成18年(2000年)で、今から19年前です。当時はインターネット上に巡礼記等ほとんどなく、私自身どのように書けばよいか試行錯誤していた時期でした。確かに今読み返すと内容の無い文章に思えますが、読み返すと当時の試行錯誤していた自分自身を思い浮かべるので、このまま残しておくつもりです。
革堂に関する巡礼記は2017年に訪問した巡礼記がありますので、そちらを読んでいただけると幸いです。革堂の観音像の素晴らしさは今でも強く印象に残っていますので、御開帳の時に拝観されることを強くお薦めします。