西国三十三観音霊場巡りの旅 粉河寺(結縁御開帳)

粉河寺(結縁御開帳)

巡礼記

訪問日:平成20年10月17日

新横浜駅から新大阪駅まで新幹線で行き、そこから特急オ-シャンアロ-に乗って和歌山駅へ。新大阪駅から和歌山駅までの間は天王寺駅しか停車せず、“特急”という気がしました。粉河寺と紀三井寺、どちらを先に訪れようかと思いましたが、和歌山駅で時刻表を見ると粉河駅に行く電車の方が早く出発するので、粉河寺から訪れることにしました。

粉河駅で下車し、駅を背にして駅前の道をまっすぐ歩くと粉河寺に迷うことなく到着します。大門をくぐって境内に入り本堂を目指しますが、一巡目で訪れた時にも思いましたが粉河寺は本当に大きなお寺です。

本堂に着き、お堂の前で観音様にお参りをしました。そして、納経所で御朱印を頂きました。本堂内に入れるようになっていましたが、千手堂の前にテントがあり、そこで拝観受付をしていたので、そちらに向かいました。拝観受付所で拝観料300円を払い、これで千手堂と本堂内陣を拝観することができます。

最初は千手堂です。千手堂の千手観音像は217年ぶりの御開帳であるため、堂内はたくさんの人で賑わっていました。堂内でしばらく観音像を拝観していましたが、どなたかがお寺の方に説明をお願いしたらしく、お寺の方の説明が始まりました。

粉河寺のご本尊は一寸八分の大きさで浅草寺の観音様と同じ大きさだそうです。粉河寺は昔から火災に何度も遭ってきたので、ご本尊は素焼きの壺に入れられ、本堂下にある井戸の中に納められているそうです。ですので、ご本尊は絶対秘仏であり、今回の御開帳でも開帳されないそうです。

代わりと言ってはなんですが、御開帳の時は千手堂の観音様が御開帳されていたそうです。よって、千手堂は御開帳堂とも呼ばれていたそうです。しかし、千手堂に徳川家の位牌が祀られるようになると、千手堂もお位牌堂と呼ばれるようになりました。また、紀州徳川家の許しがなければ、御開帳をすることができなくなったそうです。「前回開帳されたのは1790年で1790年といってもピンとこないでしょうが、今、NHKの大河ドラマでやっている篤姫が生きていた時代よりも更に昔のことです」とお寺の方は言っていました。ちなみに次の御開帳の予定は今のところ、全くないそうです。

また千手堂の天井は絵天井となっており、お坊さんにかける赤い傘をひろげたような絵が四角形を作っています。これは千手堂には天蓋(てんがい)がないため、その代わりとして描かれたのではないかと話されていました。

今回の御開帳は結縁開帳と言うように、観音様と握手ができるように観音様の手と繋がった綱にさわることができるようになっています。ですので忘れずに綱を握りながらお参りをしましょうと言われていたことが印象に残りました。既に西国三十三観音のお寺を何寺か訪れていますが、結縁開帳と強く意識していませんでした。これからは結縁開帳であるということを意識して、西国めぐりをしようと思います。

千手堂の次は本堂内陣へ。まずは堂内に着座してお参りです。堂内には二十八部衆、十六羅漢像などの様々な寺宝が祀られていました。本堂を出た後、産土神社へ行きました。御朱印を頂く時、神社の方と話をしましたが、とても人の良さそうな方でした。最後は善男童子を祀る童男堂へ行き、お参りをしました。

開帳案内

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