宝厳寺(結縁御開帳)
巡礼記
訪問日:平成22年5月7日
前日は長浜港近くのホテルに宿泊して、長浜港から9時に出発する船で竹生島に行くことにしました。前日の天気予報では今日は雨。しかし、長浜港では雨は降っていませんでした。長浜港から見える琵琶湖の風景は雲(霧?)がかかり、幻想的で、「弁天様と観音様が竹生島にいらっしゃる」と思わせるものでした。
乗船した船
長浜港では雨は降っていませんでしたが、竹生島上陸時には結構な量の雨が降っていました。雨が降ると嫌ですが、弁天様は水に関係する仏様なので、雨を降らせることで来島を歓迎していると考えることにします。
祈りの階段と呼ばれる石段を上って、まずは弁天様を祀る本堂でお参りです。私は弁天様が好きなので、こちらのお堂に来ると特別な気持ちになります。お参りをした後、授与所を授与品を見ましたが、欲しくなる品がたくさんありました。
そして御開帳している観音堂へ。途中で西国三十三所の観音像を祀る観音堂がありますので、そこでお参りをしました。観音堂には適所にお寺の方がおり、案内に従って、内陣に入りました。厨子の中に観音様が祀られており、想像よりも大きな像でした。なぜか勝手に小さな像をイメージしていました。結縁綱がつながった金剛杵があったので、それに手を合わせて、お参りをしました。
お参りが終わった後、少し下がったところから観音様を拝観しているとお坊さんが話しかけてくれました。その方は
「結縁御開帳で観音様の姿を拝観することによって、一人でも多くの人に観音様のような人になって欲しい。先達さんにはそれを実現するために先頭に立って欲しい」
のようなことを言われ、先達として西国三十三観音霊場の結願を達成しようとしている私に対する観音様と弁天様からのメッセージのような気がしました。結縁御開帳に合わせて西国三十三所めぐり二巡目を始めましたが、もしそれに仏様の意志があったとすれば、上記の言葉を私に伝えたかったからではないかとも思いました。
観音堂には観音様以外にも、薬師如来像、阿弥陀如来像が祀られており、お位牌もあったので不思議に思っていると天皇家のものだそうです。宝厳寺は
神亀元年(724年)聖武天皇が夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧・行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。
という由来があるので、歴代の天皇家の位牌を祀っているそうです。
御開帳の案内
観音様と結縁した後、竹生島神社でお参りをし、船の時間までまだ時間があったので、石段の途中にある霊水・瑞祥水(ずいしょうすい)を頂き、宝物殿で寺宝を拝観しました。そして最後にもう一度、弁天堂で弁天様にお参りをして、乗船場に戻りました。