都筑橘樹酉歳開帳地蔵霊場巡りの旅

義民堂(妙法寺)

訪問日:平成29年4月23日

二十二番札所の観音寺から歩いていきました。善の綱を握ってからお堂に近づくと、二体の地蔵菩薩石像が祀られていました。掲げてあった案内には

江戸元禄の時代、久末村の人々は、江戸で派手な生活を送り重い年貢を取り立てる領主、佐橋内蔵助 の悪政に苦しめられていました。元禄6年(1693)佐橋は年貢を一挙に100石も増やすことを村人達に命じました。これまでの年貢を納めるのもやっとだった村人たちは、ついに江戸の佐橋を直接訪ね、年貢引き下げを直訴することを決心します。しかし佐橋の屋敷へ向った村人達は次々に捕らえられ、19人が殺されてしまいました。その後年貢は元に引き下げられましたが、19人の命は戻りませんでした。残った村人達が供養のため建てた地蔵は、いつの頃からか義民地蔵(命と引換えに村人を救った人々の地蔵)と呼ばれるようになりました。

とあり、江戸時代に造られた追善供養の地蔵尊を現在まで守り通しているのは素晴らしいなと感じました。今回の巡礼で義民堂を知ることができ、本当に良かったと思います。

お堂