徳恩寺
巡礼記
訪問日:平成20年5月5日
こどもの国線恩田駅で下車しました。駅から少し歩くとすぐに赤いのぼり旗が見え、問題なく到着しました。途中に横浜虚空蔵尊と書かれた案内板があり、「徳恩寺には虚空蔵菩薩が祀られているのか」と思いながら石段を登り、境内に入りました。
山門をくぐると目の前に供養塔と本堂があったので、綱を触りながら本堂に行き、堂内で着座して観音様にお参りをしました。私が堂内に入った時、お寺の方が参拝者の方に寺宝の説明をしていましたので、「終わるのを待っていれば説明をしてくれるだろう」と思い、座りながら待っていました。その時、御手綱が繋がっている先を見ると中央の仏様でなく、向かって左側の仏様に繋がっていました。私は真ん中に祀られている仏様が観音様だと思っていました。また「線香は横にして下さい」と書かれており、「高野山真言宗では、線香を横にするのかな」と思っていました。
すると前の参拝者の方への説明が終了したので、「どうぞ、間近でお参りして下さい」と内々陣に案内して貰えました。向かって左に観音像、中央に虚空蔵菩薩像、右に弘法大師像が祀られていました。次に恩田郷を治めていた柳沢信尹(のぶただ)公が使用していた大名駕籠と寄贈した大般若経の説明をして下さいました。説明は非常に分かり易く、このような説明があると有り難いです。御朱印を頂く時に「高野山真言宗では線香を横にするのですか」と聞くと、御開帳中は多くの人がお参りするので、線香が手に触れないように横にしているのだそうです。
本堂その1
本堂その2
御朱印を頂いた後、接待所で味噌田楽を頂戴しましたが、とてもおいしかったです。大般若経の説明の時、柳沢信尹公の夫人の念持仏であった弁財天像が境内に祀られていると聞いたので、そちらに行きました。縁之弁財天と案内板に書かれており、お堂の前の石像は弁天様ではなく、竜神王だと思います。
境内には蹲踞(つくばい)があり、その水は地下水脈から湧き上がっているそうです。境内の反対側に行くと、「こころ」と名付けられた広島に落とされた原子爆弾の残り火がありました。五月慈母観音と呼ばれる観音像もあり、ランドセルを背負った子供を優しく抱く観音様が印象的でした。他には、旧江戸城春日灯籠及び庭石がありました。このように徳恩寺は、札所の観音様以外にも拝観すべき箇所がかなりあります。
今回初めて参拝して、徳恩寺は非常にしっかりしたお寺だという印象を受けました。横浜市内にはしっかりしたお寺が数多くあることを改めて感じ、それを気付かせてくれた旧小机領三十三観音霊場に感謝の気持ちで一杯です。
弁天社
蹲踞(つくばい)
五月慈母観音像