先週末、書店に立ち寄った時、エイ出版社の「名僧のありがたい言葉」という本を見つけ、購入しました。その中に掲載されている建功寺住職であり、庭園デザイナーの桝野俊明さんと宗教学者の正木晃さんの対談「人生を幸せに生きるための禅の教え」で、印象に残ったことを以下に示します。
桝野:よく、お寺においでになる方々に「京都へ行くのですが、どこの庭を見たらいいでしょうか」と聞かれるのです。そこで、「この庭を見たらいかがですか」と紹介すると、「そこはもう見ました」と言われてしまうことがあります。どうも、何度も何度も自分の目で見て体で感じようと思われる方が少ないように感じますね。
庭というものは本来、何度行ってもいいもので、何度行ってもそこでじーっとしていることで違う気付きが生まれるものなのです。前に行った時とは違う気付きが生まれるということは、その何年間かであなたが成長したということになるのです。同じにしか見えなかったら、あなたは成長していないということになるのですよと、私はお伝えしています。やはり、庭を通して、そこから感じるものや得るものというのはたくさんありますからね。
正木:今は、たった一度ですべてがわかってしまうという幻想がある気がしてなりません。私は仏教を説明する時に、華厳経にある「初発心時、便成正覚」という言葉をよく使います。これは悟りを求めて第一歩を歩み始めた時にすでに悟りがある。だから歩み続けている限り、次々に悟りが現れるのだけれども、究極の悟りはない。歩み続けること自体が究極の悟りなのだという意味でもあります。
多分、お庭の場合、四季それぞれで変わってきますよね。我々も変わる。さらに我々を取り巻く状況も変わるから、常に変化して止まらないわけですね。それをたった一度見ただけで、わかったつもりになってしまう。現代は、全体的にそういう傾向にあります。
桝野:仏教には「山川草木悉皆成仏」という言葉がありますが、すべて森羅万象が仏の表れなのですね。真理の表れだということです。そこに何を見て何を感じるかということが、10人いれば10人違っていいのです。見え方の違い、見方の違いがあって、その気付きが人生にどう影響を与えるかということが大事なのではないかと思います。
私の感想
「霊場巡りの旅ブログ」では私が寺社に訪れた時に気づいたことを書いていますので、気付きの大切さを述べている箇所が印象に残りました。対談では庭について述べられていますが、「庭」を「仏像」にしても構いません。「仏像というものは本来、何度お会いしてもいいもので、何度お会いしてもそこでじーっとしていることで違う気付きが生まれるものなのです」もその通りだと思います。寺社にはたくさんのことが詰まっていますので、「寺社というものは本来、何度行ってもいいもので、何度行ってもそこでじーっとしていることで違う気付きが生まれるものなのです」なのだと思います。
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