訪問日:2019年11月16日
神奈川県立金沢文庫では、9月21日から11月17日まで、特別展「聖徳太子信仰 ―鎌倉仏教の基層と尾道浄土寺の名宝―」を開催しています。なかなか訪問する機会に恵まれず、終了1日前になんとか訪れることが出来ました。
金沢文庫ではボランティアによる展示解説が土曜日、日曜日、祝日に午後2時と3時から開催されており、今回もそれに合わせて訪れました。以下、展示解説を聞いて、印象に残ったことを書きます。
展示
はじめに
聖徳太子は622年に亡くなった。2022年は1400年の遠忌であり、様々なイベントが開催されると考えられるが、金沢文庫はそれに先駆けて、今回の展示を開催した。
現在では聖徳太子信仰は浄土系の寺院で盛んだが、鎌倉時代の聖徳太子信仰の中心にいたのは真言律宗であり、聖徳太子信仰を確立した。
→
浄土宗や浄土真宗のお寺を訪れると、聖徳太子像が祀られていることが多々あり、聖徳太子信仰といえば、浄土系のお寺というイメージを持っていましたので、真言律宗が聖徳太子信仰を確立したというのは驚きでした。
聖徳太子像には3種類あり、それらは南無仏太子像(二歳像)、孝養太子像(十六歳像)、摂政像である。尾道の浄土寺には3種類全てある。二歳像は西国に多く、東国では珍しい。東国で二歳像がある場所は真言律宗の活動場所であった。
茨城 善重寺 聖徳太子立像
左手に香炉を持つので、孝養像であるが、右手に尺を持っているので、摂政像の意味を付加されている。鎌倉時代作であり、当時の東国ではここまでの像を造れないので、畿内から持ってきたと考えられる。
→
展示入り口の正面に展示されており、本当に素晴らしい像です。龍華寺の脱活乾漆像も真言律宗が畿内から運んできたと言われていますので、それと同じように機内から運ばれてきたのだろうと思います。
誕生釈迦仏立像
右手を挙げて人差し指で天上を指し、左手は掌を内側に向け、左腰につける。基本的には誕生釈迦仏の形式であるが、螺髪をあらわさず円頂であり、袴を着けており、これらは聖徳太子二歳像に近い。釈迦信仰と聖徳太子信仰が融合した像である。
→
このような信仰が合わさった像は興味深いです。以前、清凉寺式釈迦と善光寺如来の信仰が合わさった像の話を聞いたので、信仰が組み合わさった像はもっと色々あると思います。
浄土寺 孝養像、二歳像、摂政像
孝養像を造る目的は病気平癒、二歳像を造る目的は舎利信仰、太子信仰だが、摂政像は目的が分かっていない。
→
最初の方で「尾道の浄土寺には3種類全てある」と書きましたが、三体全て展示されていました。こちらの摂政像も右手に尺、左手に香炉を持つ姿で、お寺も時代が下るにつれ、摂政像の意味が分からなくなり、左手に香炉を持たせて、孝養像の意味を持たせたと思います。
上記以外にも以下が印象に残りました。
・60年に一度御開帳される秘仏であった千葉円勝寺の二歳像
→聖徳太子像は仏像よりも神像に近い印象を受け、得も言われぬ迫力があり、秘仏になるのも分かる気がします。
・浄土寺の坐像の清凉寺式釈迦如来像、
→清凉寺式釈迦如来像の坐像は珍しい。
・浄土寺の足利尊氏画像と尊氏念持仏
→浄土寺は足利尊氏と縁が深いので、浄土寺に相応しい宝物です。
最後に
会期ギリギリの訪問でしたが、「もっと早く訪れれば良かった」と思える素晴らしい展示でした。聖徳太子の展示は2022年は1400年の遠忌に向けて色々とあると思いますので、今から楽しみです。
これまで聖徳太子像にそれほど興味を払ってこなかったのですが、3年前に広島の尾道で浄土寺の秘仏ご本尊十一面観音立像のご開帳を訪ねた際に、丸顔の十一面観音さまだけでなく、聖徳太子像のうち二歳像は幾らか印象に残っています。浄土寺で坐像の清凉寺式釈迦如来像のお姿を拝したかどうか、覚えがないですが、宇治の橋寺放生院でご本尊のお地蔵様のお姿のほか、坐像の清凉寺式釈迦如来像のお姿を拝して、副住職さんが丁寧に説明してくださいました。
去年の11月18日に大阪の藤井寺と羽曳野で、毎月18日の葛井寺と道明寺、野中寺のご開帳を訪ねたのですが、道明寺では秘仏ご本尊の十一面観音さまのほか、鎌倉期の孝養聖徳太子像が印象に残りました。鋭く何かを探求する様子が16歳の少年に思えず、20代半ばの一応全くの大人になった若者のようでした。
大ドラさん、コメントありがとうございます。
宇治の橋寺放生院は地蔵菩薩像の印象が深く、残念ながら釈迦如来像は覚えていません。放生院は真言律宗のお寺なので、釈迦如来像があるのは納得です。
記事の中でも書いた通り、聖徳太子像は得も言われぬ迫力があり、印象に残りますね。