現在、神奈川県立金沢文庫では特別展「御仏のおわす国~国宝 称名寺聖教がつむぐ浄土の物語~」を開催しています。その関連講演会として、「称名寺の境内と伝来の美術から見た浄土」が行われるとありましたので、予め申し込みをし、本日(6月23日)聴講に行きました。以下、印象に残った内容を示します。
称名寺の浄土庭園
阿弥陀如来は西方極楽浄土にいらっしゃる仏なので、一般的にお堂は境内の西にあり、像は東を向いて安置される。よって、参拝者は阿弥陀如来像にお参りする時、極楽浄土のある西を向いてお参りすることができる。
称名寺の浄土庭園は、池にかかった橋、金堂、講堂を中心線とした伽藍配置であり、その西側に阿弥陀堂があった。しかし、中心線が南北の軸線から約20度東に傾いているので、中心線上から礼拝した時、阿弥陀堂は真西にない。当時、正確な方角が分からなかったと思うかもしれないが、上行寺跡の阿弥陀如来像と朝比奈切通しは、ほぼ東西軸線上にあるので、正確な方角が分からなかったとは考えにくい。その一方で、夏至の頃の日没の方角とは、約2度ほど西に傾いているが、ほぼ直交している。谷戸の地形による制限からその線を軸に伽藍を配置したと考えられる。
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お寺は色々なことを考えて、造られているんだなと改めて思いました。また、日の出と日の入りの方角が簡単にわかる「日の出・日の入りマップ」の紹介がありました。確かに方角が簡単に分かり、方角から何か新しい発見ができるかもしれませんね。
釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩
称名寺には、金堂に釈迦如来像、講堂に弥勒菩薩像、阿弥陀堂に阿弥陀三尊像と、過去仏(阿弥陀如来)、現在仏(釈迦如来)、未来仏(弥勒菩薩)がそろっている。
阿弥陀如来は人が亡くなった時、観音菩薩、勢至菩薩らと共に来迎する。その時、観音菩薩は蓮台を持っており、亡くなった人をその台の上に乗せる。帰り来迎時には、蓮のつぼみが閉じ、上品上生時には、すぐに極楽浄土に生まれ変わり、下品下生時には、つぼみの中で12万年ぐらい浄化された後、極楽浄土に生まれ変わる。
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帰り来迎の図は見たことがありますが、観音菩薩が持っている蓮台に注目していなかったので、次回はきちんと確認しようと思います。
弥勒菩薩は現在、兜率天で如来になるために修行中であり、56億7千万年後に悟りを開き、如来になることを釈迦如来に予言されている。しかし、56億7千万年後はあまりにも長いので、
- 別の仏の世界(阿弥陀如来の極楽浄土)がある
- 弥勒菩薩のいる兜率天に往く
という考えが生まれた。兜率天は五道(天、人、畜生、餓鬼、地獄)の一つであるため、欲がある世界である。そのためか、兜率天の画には天女が多く描かれている。しかし、称名寺の兜率天画には天女が描かれていない。理由は定かではないが、真言律宗で律が重視されたので、天女が描かれなかったのではと考えられる。
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「兜率天の画に天女が多く描かれている」のは知りませんでしたので、次回は注意して見たいと思います。
兜率天は欲が残る世界なので、もしかしたら、弥勒菩薩が欲に負ける可能性がある。そこで、内院、外院という考えが生まれた。内院は将来仏様になることが約束されている菩薩が住むところである。弘法大師空海は兜率天に往ったはずだが、高野山の奥之院にまだ生きているという信仰もある。そこで、高野山自体が内院であるという考えも生まれた。
北条義時の一周忌法要の時、称名寺の弥勒菩薩立像と宝珠院の阿弥陀三尊像が並置されたことを示す資料がある。また貞慶ゆかりの兜率天浄土図と阿弥陀如来浄土図はセットとして作られたと考えられている。
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弥勒菩薩と阿弥陀如来へ同時に祈り、弥勒菩薩のいる兜率天、あるいは阿弥陀如来のいる極楽浄土への往生を願ったのは興味深かったです。
最後に
金沢文庫の講演会は学芸員の方が分かり易く話をしてくれるので、毎回とても楽しみにしています。これからも講演会に参加して、色々なことを学びたいと思います。
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