京都の西本願寺で夜座(法話)を聞き(記事:西本願寺近くのホテルに泊まって、夜座、朝のお勤めに参加)、良い内容だったので、出来るだけ訪れたいなと思いました。しかし、私は横浜市に住んでいますので、頻繁に京都に行くことは叶いません。そこで、関東地方でも浄土真宗の法話が聞けないかなと思い、東京の西本願寺である築地本願寺のホームページを調べると、毎月16日に親鸞聖人御命日法話が開催されるとありました。今月の16日は土曜日ですので、築地本願寺を訪れることにしました。
境内
東京メトロ築地駅で下車し、地上に出て少し歩くと築地本願寺の正門に到着です。境内に入ると、予想よりたくさんの人がいました。築地本願寺は築地市場に近いので、外国からの観光客が多く訪れる場所であり、境内にいる半分ぐらいは外国の方で、言葉からタイの方が多いように感じました。お寺なので、仏教国であるタイの人々が多く訪れるのでしょうね。
境内を進み、まずは本堂でお参りです。築地本願寺は外見も一般のお寺とはかなり違いますが、中もかなり違います。築地本願寺のことはまた改めてブログに書きたいと思います。当日は法話開始までの時間があまりなかったので、阿弥陀如来像にお参りだけして、法話の会場である聞法ホールに移動しました(開催される場所は本堂の場合もありますので、ホームページで前もって確認しておきましょう)。
法話
聞法ホールは本堂の向かって左側にあります。扉を開け、中に入り、靴を脱ぎ、右側にある下駄箱に入れ、スリッパに履き替え、空いている椅子に座り、法話が始まるのを待ちました。時間になると、まず読経があり、次に法話が始まりました。
法話は「宗教を持つこととは」の内容で、お母さんの介護をしていた人の話があり、その人は(法話をした)ご住職の知り合いで、お母さんの介護についてご住職が尋ねても、「(介護が)つらいとか思ったことは一度もない」と答えていたそうです。
介護をしていたお母さんが亡くなり、お葬式の焼香の時、その人は大きな声で「ありがとう」と言ったそうです。お葬式の後、そのことについて聞くと、その人は「ありがとう」には2つの意味があり、1つ目は「生んでくれてありがとう、たくさんの思い出をありがとう」という意味のありがとう、2つ目は「介護から開放してくれてありがとう」という意味だったと答えました。
ご住職は日頃「(介護が)つらいとか思ったことは一度もない」と聞いていたので、2つ目の意味に違和感を持ち、そのことを尋ねると、その人は「介護がつらいと思ったことはないのは確かです。しかし、心の底にほっとした自分がいたことに気づき、本当はしんどい、つらいと思っていた心の闇を見た。それを気づかせてくれたので、ありがとうと言った」と答えたそうです。
次に善光寺の戒壇めぐりの話がありました。戒壇めぐりでは真っ暗闇の中を歩きますが、出口に到着し、外の光を見た時、「光があって、初めて闇が分かる」ことに気づいたそうです。
次は仏の大悲の話がありました。仏様は我々一人一人を大きな慈悲で照らしており、それにより、我々は自身の心の闇に気づきます。宗教を持つことにより、自身の姿を見つめ直すことが人生では大切であるという話でした。
おわりに
西本願寺の法話を聞いて、このような法話を聞ける京都周辺の人は羨ましいと思いましたが、東京近郊でも築地本願寺で素晴らしい法話を聞くことが出来ることを知り、有意義な訪問でした。
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