2019年、初めての記事となります。今年も寺社や展示会を訪れた時に感じたことを共有していきたいと思いますので、よろしくお願いします。
源実朝が鶴岡八幡宮で公暁により殺害されたことは広く知られた歴史上の出来事であり、その年月日は1219年1月27日です。つまり、今年は源実朝没後800年となります。それを記念して、鎌倉国宝館では1月4日から2月3日まで、特別展「源実朝とその時代」を開催しています。
鎌倉国宝館では年度初めにその年度開催予定の展示会情報をホームページで公開しており、平成30年度開催の特別展の中では最も楽しみにしていた展示です。本当は展示期間中の最初の土曜日である1月5日に訪問したかったのですが、羽田七福いなりめぐりを優先し、二回目の土曜日である1月12日に鎌倉国宝館を訪れました。
展示内容
最初に甲斐善光寺所有の源実朝坐像が展示されていました。像を見ると、顔が面長で、実朝ゆかりの巳神を思い出しました。鎌倉にあった永福寺には運慶作の十二神将像が祀られていたとされ、その像を模刻した十二神将の特徴として、巳神がスラッとした高貴な顔をしていることが挙げられます。源実朝は1192年8月9日の巳の刻に生まれており、そのため、十二神将の巳神は実朝に関係があるのではないかと言われています。
甲斐善光寺の実朝像は実朝像としては最古のものであり、顔も実物に似ていると言われていますので、十二神将の巳神の特徴はやはり実朝ゆかりのものなのだろうなと感じました。
寿福寺の金銅の薬師如来坐像は源実朝の病気平癒のために北条政子が造らせたものです。本仏像は鎌倉国宝館でよく展示されており、説明を何度も聞いたことがありましたが、あまり記憶に残っていませんでした。しかし、今回の特別展でしっかりと記憶に残りました。
神奈川県秦野市に在る金剛寺の阿弥陀三尊像が展示されていました。金剛寺は、源実朝の御首を埋葬した実朝ゆかりのお寺で、阿弥陀如来三尊は実朝の念持仏と言われています。中央の阿弥陀如来像は時代は下るそうですが、脇侍の観音、勢至菩薩像は鎌倉時代と考えられており、とても良いお顔をされていました。
埼玉県行田市に在る天洲寺の聖徳太子立像が展示されていました。本像は聖徳太子を信仰していた源実朝の菩提を弔うために毛利季光が造らせたと言われています。像は毎年2月22日しか御開帳されないそうで、本展示は360度から間近で鑑賞できる良い機会とのことです。
源実朝が発願し、1214年に落慶法要を行った大慈寺はどこにあったか正確な場所は分からないそうですが、大慈寺と書かれた瓦が展示されていました。実朝が大慈寺というお寺を建立していたとは知らず、もっと中世の鎌倉について知りたくなりました。
参考情報
鎌倉市に在る青蓮寺の鎖大師像が2月から鎌倉国宝館で展示されるそうです。鎖大師像も年に数回の御開帳ですから、鑑賞できる貴重な機会ですね。
最後に
展示を鑑賞した後、源実朝を祀る白幡神社でお参りをし、次は鶴岡八幡宮の大石段を上り、本宮でお参りをしました。
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