蓮光寺の次はすぐ近くにある極楽寺を訪れました。堂内に上がると、中央に阿弥陀三尊像、向かって右側に地蔵菩薩立像が祀られており、左側には絵巻が展示してありました。また法話の開始時刻が書いた案内があり、仏像と絵巻を拝観した後、座って、法話が始まるのを待ちました。
時間になると、御住職が前に出られ、法話が始まりました。まずは台風19号の被害から一日も早い復興を願って、全員で南無阿弥陀仏を唱えました。こういうのは良いですね。法話の中ではお地蔵さんの話が印象に残りました。
弘法大師が仏の教えを広めるにはどうすればよいかを住吉大社の神に尋ねると、住吉大社の神は地蔵菩薩の像を造りなさいと言い、弘法大師は地蔵菩薩像を造りました。
鎌倉時代、丹後局は源頼朝の子どもを身ごもり、北条政子の目から逃れるため、住吉大社に来て、地蔵菩薩に守られながら、男の子を生みました。この男の子が島津家初代の島津三郎忠久と言われています。ですので、極楽寺の地蔵菩薩像は泰産地蔵(安産地蔵)と呼ばれています。
地蔵菩薩像には別の矢負地蔵という名前もあります。島津軍に向かって敵が矢を放ちましたが、お地蔵さんにより、矢は島津軍に届かなかったそうです。
もう一つ別の名前があり、手引地蔵と呼ばれています。これは迷子になった子どもをお坊さんに扮したお地蔵さんが親の元に送り届けたので、そう呼ばれるようになったそうです。
また絵巻は上記のお地蔵さんの逸話を示したものであり、御住職の説明の元、よく理解できました。
話を聞いた後、地蔵菩薩像の近くに行き、拝観すると、優しいお顔をしており、汚れのない純粋な心を持っていると感じ、良い仏像だと思いました。
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