月刊致知10月号に掲載されている、五木寛之さんと横田南嶺さんの対談「人生のヒント」より。
(五木)宗教の大切な役割に抜苦与楽というのがありますけれども、せめて自分の書くものでほんの一瞬でも浮世の苦しみから離れていただければいい。私にできることは、そういうささやかな与楽しかないんですよ。
(横田)抜苦与楽というのは私にとっても大きな課題です。私には戦争の体験もございませんし、五木さんの深さに到底及ばないことは仕方ないことですけれども、そういう自分にできることは、平穏なこの時代に生まれたことに感謝して、明るく生きていくことです。
大井際断という百三歳でお亡くなりになった臨済宗の管長さんは、お坊さんは声と顔と姿だと説いておられました。私もこれから少しでも明るい笑顔、明るい声で、明るく生きていくことで、せめて一時の喜びや光なりとも人様に与えていく努力をしていきたい。それが私の一つの役割かなと思っています。
(五木)それこそまさに、豊かな人生を築いていく法則ではありませんか。仏教にはそういう人生の法則を示して、闇を照らしてくれる光のような役目があると思います。
私は子供の頃に、真夜中の山道を一人歩かされる体験をしたことがあります。近所で人が亡くなったのを、隣の集落に知らせて来いと。それで、一歩踏み外したら転落死するような狭い道を暗がりの中で何時間も歩いたんです。
それはもう叫び出しそうになるくらい恐ろしくて、震えながら歩いたんですけれども、途中で雲が切れて月の光で山道が淡く照らされましてね。途端に安心して歩けるようになったんです。あの時の心強さといったらなかったですね。
世の中の闇や心の闇を、淡い光でもいい、ほんの一瞬でもいいから照らしてくれる。仏教というのはそういう光なのだと思いますし、私自身もそのような光に導かれて歩いていきたいと願っているのです。
私の感想
「世の中の闇や心の闇を、淡い光でもいい、ほんの一瞬でもいいから照らしてくれる。仏教というのはそういう光なのだ」という言葉は、私が常日頃思っていることそのものを言い表しているので、強く印象に残りました。
近年は仏像ブームや御朱印ブームでお寺に多くの人が訪れていますが、その中で仏教に興味がある人は少ないように思えます。それどころか、宗教を出来るだけ感じさせないお寺めぐりが喜ばれているような気もします。現代社会は間違いなくストレス、闇の多い世界です。その闇を照らしてくれる教えがすぐ近くにあるのに気づかない、気づかせないのは勿体無いと感じます。
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